筑紫の日向の小戸の阿波岐原(阿南市 橘湾周辺)

「日本書紀」神代第五段によると、イザナギはまず粟の門(あわのみなと)、速吸名門(はやすいなと)で禊をしようとしたが潮流が速いため、「橘の小戸」で禊をすることになったとあります。 江戸末期の文献「阿波志」には、 「粟の門」は阿波の水門で阿淡の海口なり。とあり、これは小鳴門海峡のことを指し、「速吸の門」…