デカルトの問題性が摑めなければメルロ=ポンティは分からない 6

私は学生時代から、研究書や研究論文の焼き直しのようなことはまったくしなかったが、パリでデカルトと格闘することで、この態度を決定的に固めた。いくら情報的知識を寄せ集めても哲学は決して分からない。みずから事柄そのものに触れつつ思考しなければ哲学は決して分からないのである。 ところで、世の中ではメルロ=ポ…