自己はひとつ

なんというか、いらないものをつなげていると師に怒られそうな話だが、やはり全体としての自己が、言葉、論理でなく、ひとつになるということが、感情の露出の一形態としてありうると感じる。それこそが、自己をならふということではないか?私にとっての自己を感じることの第一歩は中埜肇先生の哲学概論にもどっていく。…