美濃部の背後には福沢が居るー「定説」の背景(美濃部の詭弁とは何であったか)

この国の近代以降の論争は、右翼であるか左翼であるか以上に、親福沢であるか反福沢であるかの方に意味があったのである。江戸を失って明治に始まる戦前の到達が「右翼と言うも可、左翼と言うも可」となったのも宜なる哉。ちなみに、福沢は共産主義も共産主義者も嫌っており、パブリックエネミーに指定したが、上杉は、マ…