古本夜話125 「パリの日本人たち」と映画

小島威彦と仲小路彰の科学文化アカデミアが戦争文化研究所、世界創造社、スメラ学塾へと展開されていくためには、小島の昭和十一年から十三年に及ぶ、ビルドゥングス過程とでもいうべきヨーロッパ留学が不可欠であった。小島の旅と留学は『百年目にあけた玉手箱』の第二巻から四巻にわたり、全七冊のうちの二冊半を占めて…