宮台真司の『カルテル・ランド』評:社会がダメなのはデフォルトとして、どう生きるかを主題化

<可能性の説話論>から<不可能性の説話論>へ 前編をおさらいすると、紀元前5世紀に2つの世界観が分岐します。一つは、社会も愛も、本来は完全たり得るのに、何らかの悪や不条理の所為で不可能化してきた。もう一つは、社会も愛も、本来は不可能なのに、何かか目眩ましになって、社会や愛が可能だと勘違いされてきた…