1964年のゼッケンとスカーフ 東京五輪サイドストーリー:時事ドットコム
豊岡さんは、学生アルバイトとして東京五輪の期間中、国立競技場の通路でブルーミング中西が出した売店の販売員をしていた。同社の社長が慶応大陸上部出身だった縁などもあり、同社が東京五輪記念のスカーフ、ハンカチーフを製造販売することになった。