司馬昭は何故征蜀を思い至ったか。=禅譲のみが唯一の救い=

賈充の曹髦弑逆(260年)で、司馬昭は禅譲への道を歩まざるを得なくなった。 分かりやすい実績を挙げることが必要となった。 そこで挙がったのが、蜀漢の討滅である。 司馬昭は兄司馬師の死で、突如司馬氏を 担うこととなった。 司馬昭は誰とでも広く付き合えるタイプであった。 兄とも仲は良かった。 しかし正始政変のよ…