賈充と羊祜に影を落とす西晋の呉討伐と禿髪樹機能の乱

西晋武帝司馬炎が、 対呉遠征を企図し始めたのは、 269年に羊祜を都督荊州諸軍事として、 赴任された頃からだ。 271年には裴秀が死去するが、 その際に残した建言として呉討伐を進言していることからもわかる。 羊祜は長らく、 中央にあって司馬氏の政権掌握、禅譲、西晋成立後の体制構築などに 実績を挙げてきた。 名族泰…