姚興の治世後半の落日。仲良し後秦羌族姚氏の末日。402年柴壁の戦い。

●後秦の運命を決める402年柴壁の戦い。 ・平陽、後秦にとって、北魏にとっての意味。 ●柴壁の戦いにおいて後秦姚興の最大の誤算は拓跋珪の親征。 ●姚碩徳が404年南涼の服属で涼州をほぼ掌握。 ●405年後仇池の服属。これで後秦の対外拡張は終焉。 ●407年赫連勃勃の離反、自立。 ●オルドスと涼州を失う後秦姚興。 ●409年西秦…