三国志・魏の人口対策について

まずは曹操の異民族討伐。 烏桓を討伐(206年)、中原へ移住させる。 袁煕・袁尚兄弟の追撃の結果ではあったが、 人口増・兵力の増強に役に立った。 その後、岡田英弘氏によれば、魏文帝の221年、 北は太行山脈、東北は陽平、南は魯陽、東は郯、西は宜陽に 至るまでの地域を境界線で囲う。 石の標識を立てて、中都の地に指…