旅情生活者

時どき私はそんな路を歩きながら、不圖(ふと)、其處が京都ではなくて京都から何百里も離れた仙臺とか長崎とか――そのやうな市(まち)へ今自分が來てゐるのだ――といふ錯覺を起さうと努める。私は、出來ることなら京都から逃出して誰一人(だれひとり)知らないやうな市へ行つてしまひたかつた。 (「檸檬」梶井基次郎) …