■明智光秀公と明智神社

明智光秀公は、弘治2年(1556)美濃から越前に逃れて、当初は丸岡の称念寺に妻子を仮寓させ、自らは旅に出て文武両道を極め、特に堺では火縄銃を習得しました。このことから越前守護職朝倉家に鉄砲指南役として抱えられ、一乗谷から京への大手筋に当たる東大味に居を構え、妻子と共に6年余り住んでいました。 その後、明…