医師にして作家、“どくとるマンボウ”北杜夫のルーツ | 「文藝春秋」写真資料部 | 文春写真館

アララギ派の歌人である斎藤茂吉は、同時に東京・青山の大病院の二代目院長であった。苦学の結果、前院長の婿養子に迎えられた人だ。だから子供たちにも、勉学に励み医師になることを強く求めた。 昭和二年(一九二…