有訓無訓

1980年代、日米間の経済摩擦が激しかった時期に、北米2課長として対米交渉に携わりました。この経験から得た教訓は、日本は「米国待ちの姿勢を改め、自らの考えを持って主張し世界に貢献すべき」ということ。当時の交渉は、米国からの要求を受けて、どれだけ“値切る”かに終始する傾向が強くありました。