d1021.hatenadiary.jp#天皇家1646年1月18日、細川忠興が亡くなりました。妻は明智光秀の娘である玉(ガラシャ)です。玉への愛情は深かったもののキリシタンには厳しく、乳母の些細な過ちに対して鼻と耳を削ぎ追い出すなどしたため、玉は離縁を考えたといいます。秀吉に玉が誘惑されることを恐れ、何度も手紙を送ったそう…