ひらけゆく江戸 ―家康公の御英断―

神田山が崩されたのは、慶長八年(1603年)のことだった。 「爰(ここ)もかしこも汐入の葦原にて、町屋侍屋敷を十町と割り付くべき様も」ない――すなわち海水が入り混じり、葦ばかりが生い茂る当時の江戸を、人間が集団生活を営むに適した確固たる大地に生まれ変わらしめんがため、家康公の指示だった。 山を崩し、その土…