カー2/神林長平『魂の駆動体』を読む

いや、それよりもカーを運転する楽しみというものが味わえるというものだ。免許をとったおれは家のフォルクスワーゲンのセダンを毎夜意味なく走らせたものだった。カーには運転する喜びがある。そこにどれだけの意味を見出すか、あるいはどの程度の人がそれに肯くかはしらないが、それはたしかに存在するのだと思う。カー…