会社は公器や――経営の姿勢〈9〉 | 松下幸之助.com

 昭和三十年のこと、ある中堅幹部が幸之助から、当時松下電器が福岡市をはじめ各方面から強い要請を受けていた九州への工場進出の是非について意見を求められた。彼は、自分の思うとおり、率直に答えた。