三宅 国秀 みやけ くにひで

備中連島の「海賊」、あるいは商人。官途名は和泉守。 永正十三年(1516)、薩摩国・坊津に12艘の船舶を率いて停泊中に、島津氏の襲撃を受けて殺害された。