楊兀魯帯 ようろたい

元朝(大元ウルス)の将軍。1285年(弘安八年)とその翌年、骨嵬(クイ)を討つ為、大軍を率いてサハリンに侵攻した。動員された兵数は1万人で、これとは別に、兵站確保のために旧南宋軍による屯田も行われた。