徳川秀忠の「関ヶ原遅参」は、激戦時に『温存した追加兵力』をぶつける意図があったのではないか

関ヶ原合戦、家康が清須到着時の計画では、大垣城の石田らはこれまで通り東軍先鋒が、南宮山の毛利勢は家康自身が対処する予定だった。この場合、どれだけ被害が出るかは不明だが、それ以降も戦闘がある可能性を考慮すれば、「遅れて」到着する秀忠隊が無傷であることは最重要なのである。— HI (@tateita_HI) September 17…