本質というものは無くて、あるのは縁とサムシング。

と井筒俊彦さんは「意識と本質」で述べられる。 本質があってほしい、というのは、この世で生活する分には希望としてあるのだが、どこか心もとない気もするのものだ。 境界はない、全ては一である、という言い方は、本質がない、全ては縁である、という言い方の逆の言い方である。 名前を付けることで、一の中から「仮で区…