日々の糧としての写真 A LIFE LIVED IN FEAR IS A LIFE HALF LIVED
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かぐや姫って嫌なお話だなあ。しかし、その本質は社会における余剰の分配の話であり、通貨としての女性の問題である。社会システム論的に見た「かぐや姫」再考。
このエントリーは「かぐや姫問題」に入ります。 かぐや姫と言うお話は、一族(そこに属する女性)にとって結婚という制度が就職先で有ることを実感させる。そもそも、社会の生産性が低い時代は、余剰がなく、余剰を再分配する社会システムも規模は小さかった。しかしながら、社会の生産性が高まるに連れて規模も大きくなり…