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十河和貴『帝国日本の政党政治構造』
1924年の加藤高明の護憲三派内閣以降、政友会と憲政会(→民政党)が交互に政権を担当する「憲政の常道」と言われる状況が出現しますが、なぜ、このような体制が要請されたのでしょうか? そして、この政権交代の枠組みを運営したのは誰なのでしょうか?(明治憲法のもとでは議会での多数派が組閣を導くわけではない) また…