▶ アラン・ロブ=グリエの映画『 囚われの美女 』( 1983 )を哲学的に考える〈 3 〉

A. ここで見逃すべきでないのは、性的なもの に対する男女の違いです。ヴァルテルの女に対する見方が主観的フレームに基づくものだとするならば、マリー・アンジュの官能性はヴァルテル自身の欲望の投影に他ならないということが出来るでしょう。しかし、この説明が不十分なのは、それではヴァルテルとマリー・アンジュの…