11.開会の大功徳

十一、開会の大功徳 釈尊の四十余年の諸経は、法華経の一分一分を方便として説かれた。これを相待妙と言う。したがって、やがて法華経にすべてが帰入する。これを絶待妙と言う。また、それぞれの方便経を説いた仏も、文上では釈尊の分身であり、文底では日蓮大聖人の分身であるから、法華経の題目は他の諸経・諸仏を一括し…