夢の場所、フレームの淵/『水死』(大江健三郎)論 (1)|furuyatoshihiro

古谷利裕 0.  当たり前のことだが、小説は必ず一生よりも短い。一生をかけて繰り返し読み続ける小説があったとしても、一生のすべての時間をかけて読む小説はあり得ない。もし、一生のすべての時間をかけて小説を読みつづけるとしたら、小説はそのまま、その人の一生とぴったりと重なって、等しくなる。だからそれ…