〔評論〕わたし・小説・フィクション/『ビリジアン』(柴崎友香)と、いくつかの「わたし」たち|furuyatoshihiro
古谷利裕 1.話者と登場人物 一人称の視点を用いて書かれたとしても、話者と登場人物との間にズレが生じることは、多少なりとも小説という形式に自覚的である人なら知っている。極めて常識的な一人称視点の小説において、語る「わたし」は、語られるわたしよりも時間的に後に位置することになるだろう。その時わたし…