趣味や音楽、写真、ときどき俳句13-3 松山藩松平定行公と東野、高浜虚子や今井つる女が訪れた茶屋について3|青木亮人

※13-2はこちら↓ その後、東山御殿の建物は移築されるなどして徐々に消えていったが、吟松庵や竹の御茶屋、観音堂は後々まで遺された。 例えば、幕末に松山藩の世子の小姓を務めた内藤鳴雪(1847生)は世子とともに東山御殿で過ごすことがあったという。 漢学講義とか輸講とか云ふ際は私も加はつて相応に口をきいた。 …