後白河法皇⑱|坂本晶の「後悔するべからず」

東大寺の焼き討ちにより、清盛は仏敵の汚名を着ることとなった。 しかしこの時、清盛は非常の措置を取り続けなければならなかった。なぜなら高倉上皇が病で伏せっていたからである。 治承3年の政変では、後白河法皇の院政を停止しても、高倉天皇の親政、または高倉天皇が譲位しての高倉院政が可能だった。 しかしこの時点…