檀林皇后⑧|坂本晶の「後悔するべからず」

文屋宮田麻呂は、承和8年(841年)まで筑前守だった。 承和7年(840年)、新羅の張宝高が朝廷への献上を目的に使人を太宰府に派遣してきた。 張宝高は鎮海将軍という肩書を持つが、官僚や武将というよりも多分に独立性の強い軍閥勢力であった。始めに唐の山東半島で軍閥に入って功を挙げ、後に新羅に「新羅人が唐で奴…