育った環境、の考察からみえてくる自分という枠|吉田祥吾

やっぱり、ぼーっとしていても、ついついこれを考えてしまう。 「育った環境の“せい”」この“せい”にしている「育った環境」。 それは「自分ではどうしようもない部分」なのか、「自分でどうにかできる部分」なのか。先天的と後天的、その割合を自分で理解してコントロール出来ているか。 僕自身も、結構な頻度でお世話にな…