徳川夢声「夢声戦争日記 抄」(中公文庫) 漫談家が戦時中に慰問に呼ばれたのは軍隊も庶民も笑いと娯楽を欲していたため。

無声映画を上演する時、日本では弁士という特別の形態があった。どうやら西洋ではオーケストラあるいは小型楽隊が場面に合わせて演奏しているのを聴いていた。それはあたかもバレエを見ているようなものだ。ところが日本では小さな楽隊に合わせて、弁士が場面の説明ときにはセリフの吹き替えを行っていた。それは講談か浪…