フョードル・ドストエフスキー「キリストのヨルカに召されし少年」(米川正夫訳)

キリストのヨルカに召されし少年 けれど、わたしは小説家であるから、どうやら自分でも一つの「物語」を創作したようだ。なぜ「ようだ」などと書くのかといえば、なにしろわたしは創作したことは自分でもたしかに知っていながら、それでもこれはどこかで、ほんとうにあったことのような気がしてならないからである。ちょう…