待賢門院堀河の生涯(後)
西行との交流 康治元年(1142年)のこと、 仕えていた待賢門院璋子が仏門に入ると、 堀河も同僚の女房たちとともに出家します。 璋子は三年後に亡くなり、悲しむ堀河に 西行(八十六)はこのような歌を届けています。 &nbs […]