鬼石坊主地獄

鬼石坊主地獄の歴史は古く、文献に表れたのは、天平5年(733)頃に「口の経、丈餘、湯の 色黒く、泥常に流れず」とあり、元禄7年(1694)に訪れた貝原益軒は「豊国紀行」に「円内坊 地獄とて熱湯あり泥土なり」と記し、寛政7年(1795)には、脇欄室が「函海魚談」で「泥 を躍し、湯を起こし」と述べました。