信仰と災い その3

自分だ!我だ!というが、この自分なるものは、元来生まれる前も、生まれた後も、死んだあとも、ことごとく「無我相」そのものの姿である。 それであるのに、善いことがあったと言っては喜び、悪いことがあったと言っては悲しむ。これは人の智慧の浅墓だからだが、仏さまの御眼よりながめられたならば、定めし不憫に思われ…