誰かのために灯明を

滅罪会が始まりました。 記念事業の法要で高野山に向かう前から、忽然と罪悪感が湧いてきていました。ふと心に浮かんだのでした。 私はその罪悪感を、打ち消そうとはしませんでした。ただ、それが「ある」と認め、そこにあるものとして、静かに気づきを向けました。 心に湧いた思いを否定せず、無理に意味づけすることもな…