戦国時代の南九州、大混乱の15世紀(7)伊作久逸の乱、祁答院の戦い

文明6年(1474年)、島津忠昌(しまづただまさ)が島津宗家の当主になった。しかしながら、忠昌はもともと後継者に指名されていなかった。寺に入っていたところ呼び戻され、還俗して家督をついだのである。しかも12歳とまだ若い。代替わりした島津宗家は、だいぶ頼りない状況だった 領内には分家が多く、戦乱をかいくぐっ…