田原俊彦「ピエロ」大人へのステップをしっかりと踏ませたジャニー喜多川の計算

「ピエロ」は、田原俊彦に仮託された “男の子” が大人のニュアンスを持ち始める、というためのひとつのステップとなった作品だったと思う。作曲を担当したのは、6枚目のシングル「悲しみ2(TOO)ヤング」(1981年)で田原作品に初参加した網倉一也。作詞は、これが初めての田原作品となる来生えつ子だ。