無意識に目を惹かれた「多羅菩薩」の意味をめぐって

昨日、私は日常の如く、堂内で荼枳尼天の供養法を勤めていた。荼枳尼天を拝みつつ、昨日はなぜか数ある仏尊の中から、「多羅菩薩」ばかりが目に入ってくる。「視線が吸い寄せられるような」また「向こうから見られている」「語りかけられている」とも思えるような。 こういった「あれ?」と感じたことは放置しない。これが…