嘉吉の乱の治罰綸旨の起草案を完全に書き換える後花園天皇

後花園天皇が嘉吉の乱で赤松満祐治罰綸旨を出したことは、ごくごく一部の歴史愛好者の間では有名です。 赤松満祐はいろいろあって足利義教を暗殺したわけです。ちなみに現場は二条城の向かい側、堀川通の東側です。そこから満祐は義教の首を持って、丹波口から現在の八条通を通って山陰街道に出て、さらに物集女街道を通り…