爆心地のネオンサイン 小田原のどか個展『STATUMANIA 彫像建立癖』に寄せて | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

戦後間もない1946年から1948年までの二年間、長崎市松山町に一本の巨大な矢印が突き刺さっていた。「原子爆弾中心地」と記されたこの矢羽型のモニュメントは、1945年8月9日、長崎の上空約500メートルで原子爆弾が炸裂した、まさにその場所を指し示すために建てられたものだ。毎日新聞長崎版 昭和22年8月9日付より彫刻家・…