【再掲】ロシアの地政学24:1853.3.28-1856.3.30クリミア戦争(ロシア・トルコ戦争)、パリ条約

【再掲にあたっての備忘録】この時期は、ロシアのバルカン半島南下政策が継続していた。しかし、直接の対立の発端となったのは、オスマン帝国が支配していたエルサレムをめぐる聖地管理問題だったようだ。イギリスの外交方針が不鮮明(つまりロシアを支持するか、オスマン帝国を支援するか)であったため、戦争勃発前の仲…