【源氏物語541 第16帖 関屋2】常陸介(前の伊予介)と空蝉の一行は打出の浜に来る頃に、源氏は粟田山を越えたということで 一旦下馬して源氏の一行見送ろうとした。

京から以前 紀伊守《きいのかみ》であった息子 その他の人が迎えに来ていて 源氏の石山詣《もう》でを告げた。 途中が混雑するであろうから、 こちらは早く逢坂山を越えておこうとして、 常陸介は夜明けに近江《おうみ》の宿を立って 道を急いだのであるが、 女車が多くてはかがゆかない。 打出《うちで》の浜を来るころに…