終戦の日「負けた」というより「すべて終わった」 101歳が語る戦争
1945年6月ごろになると、連日山陰から敵のグラマン戦闘機が現れるようになり、部隊の周辺もにわかに慌ただしくなった。<br /><br />私たちの部隊は鳴門海峡の防衛にあたるため、徳島市から撫養町(現徳島県鳴門市)に移動し、米軍の上陸戦…