多次元性新生児──古谷利裕の作品がゴミまたは糞であることの可能性|永瀬恭一 | 週末批評
文:永瀬恭一 ゴミの居場所 わけのわからないものがある。少し見て、とりあえず異質であることは感じるのだが、それは、異質ではあるけれども美しい、のではない。とにかく異質なのであってその異質さはどこにも結びついていない。 素材はうすっぺらい