田舎教師ときどき都会教師
id:CountryTeacher
中島岳志 著『思いがけず利他』より。5年生の道徳の『手品師』は誠実? それとも思いがけず利他?
それは、親鸞が、「言葉の器」になろうとしていたからだと思います。親鸞にとって、『教行信証』を書く自分は、先人の言葉をつなぐ触媒にすぎません。言葉は私のものではなく、私にやって来て留まっているもの。自分がオリジナルの何かを表現できるというのは、賢しらな自力に他なりません。言葉は常に過去からやって来る…