宮崎智之 著『平熱のまま、この世界に熱狂したい』より。サウイフモノニ、ワタシもナリタイ。

つまり「何者か」というのは本来、be の話だったのにもかかわらず、どこまでも目的達成的で、存在そのものを顧みない「実感」に乏しいものになっているがゆえに、焦燥感、空虚感にさいなまれる do 的な時間感覚に追われる状態になってしまっているのではないか、ということだ。そのねじれが、僕をより焦らせ、より困惑させ…